今年もあと少し。
今日は大学院の中間発表でした。
一年前は「一年後にこんなことできるんかな...」と恐れ慄きながら先輩方の発表を聞いてましたが、一年、、、早い、、、
同期の皆さんにも久しぶりに会えた嬉しさと、あと少しで卒業か(できるかどうかはわかりませんが...)と思うと既に寂しい。
一日一日を大事に。
言葉という扉 2018.03.29
作品を作ること
これが自分の人生の仕事だと、いつの頃からかそう思うようになった。
作品には名前をつける。
時には文章や、短い詩のようなものを添える時もある。
言葉は、私と演者、作品と観客を繋いでくれる、扉のようなものだと思う。
自分にとって、作品を作るということはどういうことなんだろうと、これまで製作してきた作品のタイトルと、当時書き綴った文章を読み返した。
+
「under my skin」2009
「息苦しいくらいの切なさ
それはまるで白昼夢のように
ため息の温度だけを残して消えてゆく」
これが自分の作品を見て感じた感想である。
本番の二回、下手の幕から舞台上をのぞいていた私は、薄暗い空間の中で行われる動作や表情を見て、まるで、見てはいけない光景を見てしまったかのような気持ちになった。
自分自身で作った作品であるにもかかわらず、この感覚はとても不思議であった。
今回の作品は今まで作ってきた作品の中でも、非常に私的な感覚や感情や身体を取り扱うものであったと思う。
題名にもあるように、私の中にある経験や歴史や傷や感情がそのままの姿で作品に反映されている。
でもそれをそのまま自己満足の域でやるのではなく、ある種の共感を観客に呼び起こさせることができる形、つまり客観性をもたせるという意味では、ダンサーという媒体を通して、自分自身から良い距離を保ち、表現することができたと思う。
ダンサーという生身の人間から動きや感情を誘導するには、言葉を用いるか、実際に動きを見せてみるかがあり、言葉を用いる場合、一言に「赤」と言っても何百種類の赤色があり、個人が持つ「赤」というものに対する感覚が違うように、言葉にも限界があるし、誤差がある。そこで言葉の選別というものに出くわす。
どのような言葉を使って誘導すれば、自分が一番欲しい表現に行き着くのか、どのドアをノックすれば、会いたいあなたに会えるのか、これもダンサーとのクリエイションで面白いところであった。
またクリエイションの中でしばしば私が口にした言葉が「こんなことしなくてもいいような気がする」というものであった。
それはつまり、装飾や身体運動としての動きは必要ではない、という意味である。そしてその言葉を発する時、常に「ではなぜダンスを用いるのか」という自問も同時に行われるのであった。
歌ってもいいし、書いても描いてもいいし、何かを演奏したっていい、その中でなぜ動きで何かを伝えようとするのか。
この問いがいつも対局にあることで、常にシンプルな気持ちで踊りと向き合うことができたように思うし、又、意味のないことや、必要でないことをあえて振付けの中に取り込むこと対しても、自分の中でジャッジし、見極めることができたと思う。
上演後のレポートより
+
「adagio」2013
adagio
緩やかに・ゆっくりと 暗闇で目を凝らす。
静寂に耳を澄ます。
身体と丁寧に向き合う。
鳥達は旅に出る。たとえ暗闇の中でもどこかに向かって。
そして其処へは、自らの意志で行くのだ。
上演プログラムより
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芦谷康介と高野裕子 アトリエ公演vol.1 (共作) 2017
留まるのではなく
どこかからどこかへ
至るまでの時間と空間
わたしたちの中を流れていくもの
その先
公演フライヤーより
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「息をまめる」2017
息をまめる
まめるとは、
・まみれる
・一面に塗りつける
・戯れる
・仲間に加わる、交わる
・世話する、肝いりする
・仕事に精をだす
・合う、馴染む
・口が達者でよくしゃべる
という豊かな意味のある、日本各地の方言です。
この作品のタイトルを考えていた時に「息」を「どうする」のか、という動詞がなかなか見つからず、出演者全員が一緒に動いている風景を想像しながら「まめるって感じやねんなー」と頭の中に浮かびました。
「まめるなんて動詞あるんかな」と後に調べたところ、豊かな意味を持つ言葉であることを知り、タイトルに決めました。まめってます。
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フライヤーの骨は、私の背骨と骨盤の骨です。
最近の私をご存知の方は驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、2012年6月19日に腰の外科手術をして、現在は1年に一回経過観察を続けています。
骨盤近く、第五腰椎にビスが2本入っています。これは死ぬまで体内に入ったままです。
術後1日目、私のからだは歩くことを忘れていました。心とからだが完全に解散!した状態、不思議な体験でした。
入院中はずっと院内の手すりを持ってバーレッスンをしていました。
術後2ヶ月で退院しても、日常生活は大変でした。でもなぜか振付の機会があって、寝転がりながら稽古していました。
術後数年は、ずっと一人で稽古してました。今思えば、一人でよくやっていたなぁと思います。
からだのことを勉強したり、動き方を変えていくうちに、少しずつ動けるようになり、指導や振付の機会も増えました。
そして「誰かと一緒に踊りたい」と思うようになりました。
このレントゲン写真は、ある方向から見た「私」という、とある一人の人間の中身です。私の見えないある一面は、こんな風になっています。
人を見た目や肩書き、性別や国籍、言葉や障害、後から名付けられた何かで判断するのではなく、その人の芯を見ること。
既に表出しているものや、出来る・出来ないではなく「〜しようとする」その人の可能性や、心やからだの中の動きを大切にしたい、といつも思っています。
///
34歳の私が今思う「ダンス」、それは「動き続けること」です。
それは表出する「Movement」だけではなく、物事を耕し続け、風を起こし、問いを続けることを意味します。
そしてダンスは「目の前にいるあなたと、私の間に生まれるもの」でもあります。
なぜか私は「一緒に踊りたい」と思う動物なようで、どうやったらあなたと一緒に踊れるのか、ずっとその方法を探しています。
それが動きなのか、声なのか、音なのか、描くことなのか、食べることなのか、他の何かなのか。
答えはとても明確で、それしかないもの。
そして生まれた瞬間から消えていくので、ずっと探しています。
今回のダンス甲東園では、ダンサー、役者、パフォーマー、アコーディオニストの皆さんにご出演いただきます。
それぞれが様々な分野で活動されている方々であり、これまで活動を続けてきた中で出会った大切な人達です。
私はこの人たちと「今、一緒に踊りたい」と思いました。そして「この人とこの人が一緒の空間に存在したら、どんなことになるんだろう」と想像しました。
踊るとは?
言葉とは?
声とは?
音を奏でるとは?
伝えるとは?
生きるとは?
自分自身の心とからだと対峙しながら、考え悩みながらも真摯に遊び、互いの息を「まめる」。
どんな時代でも、どんな状況でも、音楽と踊り、言葉は人と共に在る。
今を生きる私たちの姿をご覧いただけたら幸いです。
公演プログラムより
+
改めて、作品に対して自分が書いた言葉を読み返すと、当時考えていたことや現在への変化の過程が面白い。
私は、いつか、誰かが死んで、いなくなることをいつも不安に思っている。
不在が訪れることが、とても怖い。
そして自分も、自分自身という意識や肉体から逃れることができないことにどうしようもな
く絶望を感じることがある。
だから、作るのかもしれない。
作品を作る現場には、私達自身の「存在」が在る。
いま、ここで私とあなたの間に、どんなものが生まれていくのか、そういう関係だけが存在している。
作品作りを通して人と関わる中で、その人自身の芯が見えてくる瞬間や何かが伝わってくる瞬間、生きる姿に心を揺さぶられ、感動する。
そして、その人のことが知りたくて、伝えたくて、自分を拓く。
素直に対峙する。
私の中に、言葉や踊りが生まれる。
私にとって、その対象は人やダンスだけでなく、音楽でも絵画でも、どんなものでもそう。
自分と、自分以外のものや何かとの間に生まれるものが面白くて愛おしくて、生きていてよかったと感じさせてくれる。
いつかはこの時間も終わってしまうから、いまこの瞬間を大事にしたい。
新しい出会いはもちろん、いま一緒にものづくりをしてくださっている人やものとの経過や深化を楽しんでいきたいと思う。
+
2月から今日まで、拙い文章を読んでいただいて、ありがとうございました。
思考やイメージを言葉に綴ることで、自分自身を改めて見つめる時間になりました。
このような機会をくださったアパートメントの皆様、そして毎週レビューをお書きくださった舩橋陽さんに、心からの感謝を。
ありがとうございました。
またどこかで踊っている姿や作品をご覧いただけたら幸いです。
では。
+
舩橋陽さんウェブサイト
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写真
・「under my skin」
撮影:宗石佳子
・「adagio」
・芦谷康介と高野裕子 アトリエ公演vol.1
・「息をまめる」
撮影:高橋拓人
循環する問い 2018.03.22
大切な場所がある。
大阪駅から歩いて15分ほどの場所にある、iTohen(いとへん)という場所。
2006年から4年ほどアルバイトをさせてもらっていた。
大学を卒業して、もう一度他大学に入学することになり、求人誌を見ながら「いろんな人に出会える場所で働きたいな」と思い、ふと、頭に浮かんだ場所がiTohenだった。
大学在学中、他学部の学部棟に行き、気に入ったフライヤーを集め、ギャラリーやイベントを見に行くのが好きだった。
iTohenに初めて行ったのも、一枚のフライヤーがきっかけとなり、アルバイトをお願いする数年前に展示を見るお客さんとして伺っていた。
電話番号を調べ、思い切ってかけてみると「担当者がいないのでまたかけ直しますね」と言われ一旦電話を切る。
その後、電話を受け、面接をお願いすることに。
今から考えると恥ずかしいが…面接には履歴書も何も持たずに伺った。
iTohenの代表であり、デザイナーでもある鰺坂兼充さんと、窓際の席で話す。
鰺坂さんは大きな紙に、話したことをメモしながら「なんでうちに来たいと思ったの?」と問う。
私は「匂いです」と答えた。
そして「時間のあるときに一回来て、良さそうだったらおいで」と言われ、その後アルバイトとして雇っていただくことになった。
+
さて、アルバイトと言っても、週に一回いるかいないかの幽霊アルバイトで、兎にも角にも不器用すぎた。
いまでも当時のスタッフさんと話すのは…
レジ打ちを間違えたらレジが「ピーーーッ」と鳴る仕組みになっているのだが、本当にレジができなくて、音が鳴る度に奥からスタッフの方が出てきてくださって交代してもらうという…
カフェ業務の他に《today》というスタッフが順番に更新していくコラムがあって、私もアルバイトにいく度に何かを書いてはウェブサイトで載せていただいた。
絵を描くことや文字を書くことをほとんどしない自分にとって、直筆で言葉を書いてスキャンしてみたり写真を撮ったり加工のしたりする行為そのものが楽しかった。
手伝ってるのか、仕事を増やしているのかよくわからない仕事っぷりに自己嫌悪になりつつ、大学卒業までの4年間働かせていただき、いまも度々展示やイベントを見に行ったり、いろいろな面でお世話になっている。
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いまの私の周りには、iTohenで出会った人、そしてそこから繋がっていった人たちが本当にたくさんいる。
ギャラリー、カフェ、本屋、そしてデザイン事務所も兼ねている場所なので、作家さんはもちろん様々な人がこの場所を訪れる。
グラフィックデザイナー、絵描き、音楽家、詩人、陶芸家、建築家
テキスタイル、食や福祉に携わる人、牛乳屋さん、コーヒー屋さん、郵便屋さん、印刷所の人…
ちなみにこのアパートメントの記事に毎回レビューを書いてくださっている舩橋陽さんと出会ったのも、この場所。
展示作品や販売物、そこに在る様々な作品の奥には、それを形作る人がいて、いろんな生き様がある。
そしてそこで様々な人と対面することで「問いの循環」が生まれたのだと、時を経て感じる。
「ダンスをやっています」と自己紹介すると、「コンテンポラリーダンスってどんなダンスですか?」と問われる。
その問いは私にとって「あなたは一体、どんな人ですか?」という問いでもあった。
その問いに対して、どう答えたらいいのかわからない自分が、いた。
相手と共通した認識であろういくつかの言葉を並べてみても、ダンスの本質や自分自身を伝えることができない。
自分でも、やりたいことや考えを明確にできていないというもどかしさもあった。
そして「ダンスってよくわからない」「敷居が高いよね」という価値観にも対面した。
ダンスや演劇、舞台芸術って、音楽、衣装、絵画(舞台美術)、デザイン(フライヤーなど宣伝美術)などの集合体として表現されるものだと思うのだけど、どうやったらこの面白さを伝えられるんだろう、一緒に共生できるんだろうと。
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問いはもちろん、いまでも続いている。
心に問いかけること。
人と人の間で問いかける、問いかけられる、その循環が生まれたこと、これは私にとって大きな流れとなった。
問われること、問うことで他者と自分を知る、探す。
問わないこともきっと面白い。
感じる、観察する、見る、食べる、描く、踊る。
人と人の間に生まれるものは、本当に無限の可能性がある。
答えを探すのではなくて、一緒に作ってもいい。
わかることだけが大事なのではなく、わからないことも大事。
言葉で、映像で、デザインで、衣装で、絵で、そしてもちろん、踊ることで伝えられるのかもしれない。
だからいまも、自分自身、そして自分と相手の間に生まれる何かを探している。
この場所は「働く」ということを教えてもらった場所でもある。
アルバイトを退職してからも、悩み事を聞いてもらったり、縁を繋いでいただいたり、いつも力をいただいている。
素直に時間を忘れて好きな本を探し、読み、コーヒーを飲みながら空間を見る場所。
生きている時間の中で、問いと刺激をいまも与え続けてくれる場所、そして人。
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Books Gallery Coffee iTohen
ギャラリーと本とコーヒーのお店
カフェの奥に位置するギャラリーでは、様々な作家の展覧会を開催
〒531-0073
大阪市北区本庄西2丁目14-18 富士ビル1F
open 11:00-18:00
展示期間中の土〜月曜のみ営業、展示最終日は17:00まで
霧の中で 2018.03.15
2010年10月から2011年9月まで、夫と一緒に、ドイツのベルリンに住んだ。
2度目の大学を卒業する頃「海外で活動したい」という思いが強くなり、卒業した年にワーキングホリデービザを取り渡独。
スタジオを借りて稽古したりレッスンを受けたり、美術館やギャラリー、舞台を鑑賞したり、ドイツ以外の国に旅をした。
友人のFranziskaと街中を走り回って、夫に写真を撮ってもらったり。
Miss Heckerという場所で見た音楽やパフォーマンス、そこにいる人との会話や出会いも宝物のひとつ。
そうこうしているうちに友人が紹介してくれた場所で4月に公演をすることが決まり、ようやく生活にも慣れた頃。
朝、夫が「日本で大きな地震があったらしい」と起こしにきた。
小学生の時に阪神淡路大震災を経験しているので、なんだか嫌な予感を覚えながら二人でパソコンの前へ。
画面の向こうに広がる景色は、もはや言葉にできないものだった。
日本にいる家族や在独の友人と連絡が取れた後も、ただただパソコンの画面を見つめるだけの日々。
自分が生まれ育った国を俯瞰する。
何かとても恐ろしいものがうごめいているような。
これから私達は、世界はどうなっていくんだろうという不安に纏われた。
4月になり、公演の本番を迎えた。
大きな公園を取り囲むような建物の一角で、窓から緑と空の空間が見えた。
夫に砂時計のような舞台美術を作ってもらって、作品中ずっと砂(実際には大量の塩)が時間の経過を表すように落ち続けるというもの。
ベルリンで出会った友人達やオランダからも友人が見にきてくれて、その時にやりたいと思っていたことを全部やりきった。
日本を離れているたった一年の間に、甥っ子が生まれ、知人の作家が亡くなった。
自分がいた場所を距離的にも精神的にも俯瞰する状況の中、人の生と死を体験し、何かバトンを手に握らされたような、そんな感覚になった。
それまではずっと「それをやるのは私ではないから」と逃げていた私は「自分もその循環の中にいるのだ」ということをようやく自覚した。
+
「その時」を体感していない私達は、一体何ができるんだろう。
震災だけでなく、戦争やあらゆる事象が起きては過ぎていく、流れる時間の集積と体験の中で、はっきりと痕跡が残る「その時」。
過去からの文脈の中で、今を生きている私達は、どこに向かっていくのだろう。
そして、どんな時代を作っていきたいのだろうと二人で考え、いまの活動名である「UMLAUT」という屋号が生まれた。
発音記号で「音を変える」という意味を持つ。
自分の隣にいる人と手を繋いで、丁寧に、少しずつ、伝えていくことを大切にしたいという思いから生まれた名前である。
夏になり、大学の後輩から作品製作の依頼を受け、そのまま日本に帰国した。
「im Nebel」という、日本語で「霧の中で」という意味をもつタイトルの作品。
深い、深い霧の中で、たとえ前が見えなくても、そこにきっと光が見える。光があってほしいという心の風景だったように思う。
そういえば、Franziskaとは作品を一緒に作り始めていた。
彼女はドイツ人で、リハーサルの時は英語でやりとりをした。
お互いに母国語ではないので、たどたどしい会話。
私は彼女の持つ声や、雰囲気がとても好きだった。
結局彼女との作品は未完成のままなので、いつか一緒に作品を発表するというのが、夢。
写真
「with Franziska」
「toc toc toc」2011
撮影:高橋拓人
「im Nebel」2011
撮影:宗石佳子
水やりをする人 2018.03.08
小学5年生の時、私は学校に行っていなかった。
いわゆる不登校である。
時間の感覚って不思議なもので(大人になって小学校の時の机や椅子を見て、すごく小さく感じるように)、今となっては一体どれくらい学校に行っていなかったのかも思い出せない。
担任の先生が家に来てくれたこと。
母とハンバーガーを買って公園に行ったこと。
塾の先生達が本当に面白い人たちで、いつも応援してくれていたこと。
踊るのが楽しくて仕方なかったこと。
学校には行かなかったけど、学校とは違う世界に生きる人と出会い、救われ、いま私は生きている。
ここ数年でダンススタジオでコンテンポラリーダンスのクラスを教えたり、中学校などに行きダンスの授業を行うアウトリーチ授業で「先生」という役目になることが増えてきた。
教えることを始めたのは、ここ5年くらい。
それまでは、ダンスを「教える」ということに、正直興味も自信も持てなかった。
それに、自分が「先生」と呼ぶ人達への尊敬の気持ちもあり、そんな人たちのようにはなれないと思っていた。
でも少しずつ少しずつ時間というバトンを渡され、気づいたら今に至る。
私の中では教えるという行為は、シェアするという感覚に近い。
それは今まで出会ってきた先生や先輩に由来するものが大きい。
そしてもちろん、それはダンスというジャンルに限ったものではない。
彼ら彼女達は一様に、自身が一番汗をかき、一生懸命に生きる一人の人間である。
弱さを隠さず、毎日を積み重ね、生きる姿をさらし続けている、そんな人達である。
その人たちを見て「先生」というのは、毎日植物に水やりをするような仕事だと思った。
早く芽を出す人、ゆっくりと根を伸ばす人、それぞれに水をやり続ける。
そんな存在に、自分はまだまだ程遠いけれど、では自分に出来ることはなんだろうと想像し
、クラスを組み立てる。
自分が知っている知識や体感をありとあらゆる手段を使って「伝える」。
例えば「プリエ」という動きがある。
フランス語で曲げるという意味を持ち、膝を曲げる動きを指すが、この動きひとつでも
・プリエしましょう
・膝を曲げてください
・折り紙を折るように曲げてみて
・(動作しながら)こんな感じに動いてみましょう
・bend your knee
などなど、様々な伝え方がある。
相手のからだや動きや様子を見て、観察して、一緒にその「時間と空間を作っていくこと」も大切なことのひとつ。
お互いにキャッチボールを繰り返して、ひとつの布を編んでいくような、そんな時間。
自分の口から出た言葉は、そのすべてが自分に返ってくる。
私にとって、「生徒」という相手は、いつも何かを気づかせてくれる存在である。
そういう気持ちがここ数年で自分の中に生まれたことが不思議で、新しい感覚でもある。
だから毎回が真剣勝負だし、真剣に遊ぶ時間である。
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なんとなく、不安。
社会の中に流れる、実体のない価値観。
いつの時代も、きっと見えない明日に心を砕くのだろう。
たった数日間の授業や数時間のクラスの中で、相手と対峙できる時間というのは本当に一瞬。もちろん、教えていることはダンスのテクニックであったり振付なのだが、結局は全部ひっくるめて「生きててよかったなー」なんて思ってもらえたらいいなと思っている。
自分に出来ることはなんだろう、と時々、小学校の頃の私に耳を傾ける。
写真
yayoi